四月十九日(晴れ)

昨晩は開店から閉店までわりかし盛況だった。盛況の翌日は凪ぐ(誰もこない)。過去たまたま数回そんな状況が重なった時に意識をし始め、いつの間にか負のジンクスとして店に掲げられるまでになった。そしてこの日も案の定凪いだ。統計というほどの信頼はないかも知れないが、盛況の翌日が凪ぐ現象について有識者の見解を聞きたい。なぜなのか。
そんなこんなで静かな店内に一人、届いたばかりの『酒場の君』を読み進めていた。曲がりなりにもお酒を提供する場ではあるので頁をめくるにつれ「この本をここ(本を売る酒場)で広めないわけにはいくまい」と沸々して、その気持ちが最高潮に高まりあわや著者に連絡を入れそうになった時に、かもめと街 チヒロさんが昨日に引き続き来店。少し前にチヒロさんが『酒場の君』の読了投稿をしていたのをたまたま見かけていたこともあり、顔を見るなり「『酒場の君』は本当に素晴らしい本ですね」と捲し立ててしまった。この本の話を誰かにしたいと思った矢先にその本を読んだ人が来店する。ありがたい偶然。大感謝。
その後しばらく他の来客もなく、チヒロさんとは昨日の延長戦と言わんばかりにZINEの話をした。ひつじがで自費出版物の取扱をするようになった経緯を話す機会もそうそうないのでありがたいし、今まで言語化できてなかった部分まで言葉になったような不思議な感触があった。現状書籍の販売に関しては売れるかどうかよりも自分が好きかどうかを優先しているし、売りたい気持ち以上に(福岡でまだ十分に知られていない本のことを)知ってもらいたい気持ちがある。昨日某作家が「まずは絵を見てもらいたい」って言ってたのに近い。もちろん著者側にも売って欲しい気持ちはあると思うし、こちらも取り扱う以上はある程度の責任は持ちたい。それでも売ることよりも大切なものがあると思うし、そういう感覚は貫きたい。実際に著作を取り扱わせて貰ってる著者さんに対してそんなことを言うのも、今思えばおかしな話かもしれないけど、チヒロさんは最後までしっかりと聞いてくれた。
途中クラウドファンディングの話になり、チヒロさんが通う近所の書店との話や、実際に支援した取り組みに関する話を聞かせてもらう。これまでに何度か支援はしたものの、未だクラウドファンディングの仕組みに乗り切れずにいて、なんでそう思うのかなぁって度々考えるけどなかなか答えに辿り着けず、でもチヒロさんと話をしながらなんとなく靄が晴れたような気がした。(それを行うことが)自然かどうか。何かを判断する時にわりかしその基準を優先しがちで、前借りする(贈与の前に返礼をもらう)仕組みは果たして自然か?みたいなところで永遠に躓いている状態。だから乗り切れない。もちろん仕組み自体に良いも悪いもないし、先に書いたようにものによっては支援することもある。あげる分にはなんとも思わないけど、もらうことに対するうしろめたさ。多分その辺の重責に耐えられない気がする。この辺はまだうまく言葉にできてないのでこれからも考えたい。理想は自然体。
その後来客があり、チヒロさんの隣に座った(狭い店なのでカウンター席に座れば大体「隣」と言っても差し支えない距離感に位置する)某氏が本が好きだと言うので、ひつじがでもお取り扱いしている本の著者がたまたま来店している旨を伝える。すると某氏から「私のおばあちゃんも30年〜40年前に自費で刺繍を出していて、今それを再編集して(おばあちゃんが生きてる間に)販売しようと思ってるんです」と斜め上の言葉が返ってきて、なにそれ最高じゃん、もはやその話を聞かせてくれ、と以降しばらくチヒロさんと二人で某氏に質問の雨を浴びせる。話の主役がコロコロと入れ替わるのも飲み屋の醍醐味。そして聞けば聞くほどその刺繍に興味が湧く。書店勤めしてたのを疑うほどに某氏の説明が上手だった。チヒロさんが「一刻も早く作ってください。この人(こちらの方を示して)はZINEを買う人間だから」と念を押していたのがちょっと面白かった。福岡にも面白い出版物はまだまだ埋もれてそうだし、掘り起こしていきたい。
おばあちゃんの刺繍は絶対に読みたい。