四月二十七日(曇)
開店(休業)のお知らせは毎日各種SNSで投稿しているが、大体開店と同時にそれをするので、それはつまり毎日その時間になるまでひつじがが営業をするのか、そして開店が何時になるのかがわからないということである。とても不親切だと思う。この日も諸々が立て込んで18時に開店し、18時に投稿した。それとほぼ同時に来店したS氏から「今日は17時か18時かわからなかったけど、何となく18時な気がしたのでそれに賭けて向かってたら当たりました!」と聞く。しなくても良いギャンブルをさせてしまったなあと反省。
学生の頃から都度近況報告や相談に来てくれるS氏。この日もその時居合わせた人たち(S氏からしたら年齢的に先輩に当たる人たち)を交えながら仕事の話や趣味の話をする。一対一で話をしていると相談する側/される側(教える側/教わる側)みたいな関係性に陥ってしまうことがあるので(なるべく避けようと試みるけど、とてもむずかしい)、こうやって複数の人間で一つの話題を話す形を取れるのがとても有難い。それができるような顔ぶれが偶然場に居合わせた時に、どの大人も熱心に若者の話を聞こうとしてくれるし、どの若者も熱心に大人たちの話を聞こうとしてくれる。飲食代(や書籍代)という何らかの対価を支払って場に滞在してくれているのに、それをすることで目に見える対価は発生しないのにも関わらず居合わせた相手のために時間を割いてくれる人たち確かにいて、そんな人たちの存在が店にとって何よりの救いになっている。決して搾取構造にならず、気持ち良く贈与しあえる関係性をどうやったら作ることができるのか。店を使って実験を続けている。
安定稼働するまではこっそり続けよう(続かなかったらこっそり閉じよう)と思ってSNSなどでは今の所全く触れずにこの日報を書いているが、S氏をはじめ意外と来店者がこの日報を読んでくれていて、受信力の高さに驚く。ちょうどエガシラさんも来店したので「この間日報に書きましたよ」と伝えたら読みましたよと返ってきた。いいねやコメントみたいな反応がつく訳でもなくメッセージボトルを海に流すぐらいの気持ちで更新しているけど、それがむしろ(届いているようで届いてないSNSと違って)届くべきところに届いているような感覚になってうれしい。
前回神奈川から出張で来た時に来店した某氏が今回の出張時にも来店。博多で飲んでて博多で宿を取ってるけど1杯だけ飲むためにわざわざ宿から遠ざかってきたとのこと。宿に付属している温泉の入浴時間の終わりまであと30分しかないらしく、(距離的に多分間に合わないだろうなと思いつつ)前回飲んで気に入ってくれた中村酒造場のお酒を可及的速やかに用意して、1杯を飲み切るまでの間、今回立ち寄る予定の店について話を聞く。そしてどうやらどう考えても間に合わないことに気づいたらしく、「温泉みたいなお湯割りください」と二杯目を注文してくれた。
店の扉を開くまでにどれだけの距離、どれだけの時間、どれだけの負担をかけているかは人それぞれだと思うし、その過程を知る由はない。遠いからどう、近いからどうって話でもなくて、遠方であろうが近所であろうが同じように有難い。そしてそういう気持ちで接しているとどんどん物理的な距離のことがどうでもよくなってきて、それに代わって精神的な距離(ご近所感覚)の方が日々大きさを増してきている。家の隣にあっても知らない場所は知らないし、徒歩圏内になくても常に気にしている場所(精神面でのご近所さん)は県内外にいくつもある。有難いことだと思う。