五月二十三日(晴)
近くの飲食店の某氏が休憩時間を使って、店に居た大学生の某氏を連れて来店。東京から来ていて、お酒を出すイベントなどを自分でも催していて、中でも焼酎が気になっているとの流れからひつじがの話になり、実際に連れてきてくれたとのこと。貴重な休憩の時間にわざわざありがたい。
店のメニュー表を見た某氏から「(BAR)燐光みたいですね」と言われたので、おおBAR燐光を知ってるんですねと燐光話に花が咲いた。聞けばどうやらその辺りのお店にもよく行くらしく、BAR燐光の近くにある土器で野菜を提供する店でひつじがのことを紹介してもらったらしい。神楽坂でひつじがの話が出るなんて。幸。そしてさらによくよく聞いたら福岡に来るたびに立ち寄ってくれる東京の某氏がその土器で野菜を提供する店の関係者らしく、そこまで聞いて初めて色々な話が繋がった。遠方からひつじがを訪れた人が拠点に戻ってそこでひつじがの話をしてくれて、そこからまた別の人が福岡を訪れた時に立ち寄ってくれる。そうやって誰かの声を介して店の名前が浸透していくことほど嬉しいものはない。休憩時間が終わるから店に戻らねばという某氏を見送り、引き続きその某学生と話した。
初めて訪れた某氏が『形見』と『電報』をセットで購入。手書きのポップに目を奪われたとのこと。このポップは著者が本と一緒に郵送してくれたもので、それが店を介して読み手の視界にちゃんと飛び込んだのが嬉しかった。『形見』は完売。
半年周期で来店する某氏から、およそ半年分の近況を聞き、およそ半年分の近況を伝える。当たり前だけど誰かに話すことでこの半年間で我が身に色々なことが起こっていたのを実感するし、同様に自分の知らないところで暮らす人の身にも色々なことが起こっていたりすることがわかる。そりゃ今年も半年経つわけですね、と矢の如く流れる月日の残像を見つけたような気持ちになった。