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日報(230516)

五月十六日(快晴)

柿内正午さんの五月十五日の日記に下のようなことが書いてあった。

日記はその日に思い入れがある日ほど早く軽く書き終えてしまった方がいい。あれも書きたい。これも残しておきたいと思えば思うほど、細部に気をとられて書くという行為の対象が無限に近づいてしまう。

(2023.05.15|零貨店アカミミ

首がもげるほどうなづいたが、一方生活においてはこの数日前から残しておきたい大切な出来事が立て続けに起こっていた。言葉にまとめるのも難しく、日々無限に近づき(しかもそれが日々溜まり続け)危うく霧散しそうになっていた。

この日報を書く前に紙の日記で一旦メモ書き程度には残しているので、幸い記憶がすっぽり抜け落ちているようなことはないけれど、それでも数日ぶりに見る数日前の日記は「おや、こんなことありましたかね?」と別人のように新鮮な気持ちで向かい合える。結果的に大幅な修正と編集が入ることになり、もはやノンフィクションであることすら怪しいほどに思い出補正がされている。常にそういう出来事が起こるわけではないが、それが二日三日続くとあっという間にパンクしてしまうのは良くない。二日三日続くのは本来喜ぶべきことのはずなのに。

この日は終日凪。作家のアスさんが来店。近況の報告と、市内某所で行う催しについて話をしにきてくれた。定期的に自身の活動を報告してもらえるのはとても嬉しい。ちょうど居合わせたシンカワくんと一緒に、作品をグッズにすることについて話す。詳細はあまりに個人的すぎてここには書けないが、どうしてグッズを作るのかとなんのグッズを作るのかについてそれぞれ尋ねた。この辺は作家内でも意見が変わってくる(これは作ってもいいと思うけど、これは作りたくない)ので聞いていて面白い。

日報に書けるような話なんてその日でた話題の中のごくごく一部でしかないから、無限になる前にさらっと書いてしまった方が良いのはわかっている。けど、思った以上に書けないことの方が多くて、それを削る作業で毎回難儀している。ちょっと忘れてから書くぐらいがちょうど良いのかもしれない。