五月十四日(気持ちの良い晴)
店の近く(徒歩数十秒の距離)にあるアレアコーヒーで昼から催されるフリーマーケットに出店するため、いつもより数時間早く起きた。厳密にいうと起こしてもらった。昨年の文学フリマで歴史に残る大寝坊をかましてからというもの、午前中の起床に関しては諸方面から全く信用されていないが、完全に自業自得なので仕方ない。
関係者の協力もあり無事現場に到着し、いそいそと商品を並べた。私物の本を持っていったが、古本市というよりはそれぞれの不用品を持ち寄り販売する形のマーケットだったので、本が好きな人が集う感じでもなさそうだとたかを括っていたが、並べ終わる前にふらっと立ち寄った淑女が二冊購入してくれて驚いた。ちゃんと売れるんだ。嬉しさ余ってビールを注文し、まだ何も始まっていないのに既に打ち上げのような心地になっていた。
その後も軒先(本を並べたのがカフェの軒先だったのでそのあたり)に立ち、他の出店者と話したり、足を止めてくれる人に挨拶をしたり。ものすごくフリーマーケットな時間を過ごした。普段は2階(空中階)で営業しているので、通りを歩く人の様子や動向(関心があるかないか)がわかる路面店のメリットを改めて実感。階数が一つ下がるだけでこんなにも他者へのアクセスは容易になるのか。いつもだったら考えられないほど、知らない人に挨拶をし、言葉を交わした。結果持っていった本の半分近くが売れて、最後に本を買ってくれた淑女からは「次回もぜひ出してください」とのリクエストをいただいた。良質な時間。
マーケット終了のち、営業開始。と行きたかったが日中ほぼ立ちっぱなしだったので店に戻って小一時間休憩し、定刻よりも二時間遅い19時に開店した。
ユカさんが来店。氏は定期的に近所の公園で朝からラジオ体操の集まりを催していて、この日もその体操を行うべく早朝から起きていたとのことだった。ポイントカードを用意してリピート参加を促したり、毎回何かしらの参加特典(炊き出し等)を用意して参加者の関心を惹いたり、とラジオ体操にかける意気込みには毎回感服している。朝起きれる体ではないので未だ一度も参加できたことはないが、今日はこちらも日中から活動していたこともあり、天気が良い日に早い時間から活動すると気持ちいいですね、と人として当たり前のことをさも特別であるかの如く話した。ユカさんにとってはそれが日常なのに。
別の催しで早朝から近所でゴミ拾いをしていた某氏がユカさん滞在時に来店。昼前から活動していた人々が偶々集い、活動時間が早いと気持ちが良いというさっきと全く同じ話をした。大きなイベントに参加しなくても、ラジオ体操やゴミ拾い、フリーマーケットみたいに能動的に充実感を得られる環境が住んでいる街の中にいくつもあって嬉しい。
旧舞鶴小学校で催されていたアーティストのトークイベント帰りのイクシマさんが来店。イベント以上に参加者同士での話で盛り上がったらしく、話を聞けば聞くほどに行けばよかったと思うほど魅力的な内容だった。体が一つしかないので全ての催しに顔を出すことは到底不可能で、自然と場所の優先順位をつけていたけど、かといってそこで何が催されているのかに関心を向けないのも良くはないなと反省した。
少し前に県外を拠点に活動しているアーティストが偶々来店して、その県では(行政や個々人で)どういう取り組みが行われているのかをたくさん聞いた。その話があまりにも面白くて(少し羨ましくて)イクシマさんに福岡でもそういうのないですかねと共有したら、知っている人で行きたいと思っていた場所だったと返答があり、世間の狭さ(あるいはイクシマさんのアンテナの広さ)を感じた。なんならこの間シモダさんが貸してくれた本(美術畑にいる人たちがクラウドファンディングを用いて製作した本で、イクシマさんの知人も執筆しているとのことだったので読後に貸した)にもその人載ってましたよと言われ、己の読みの浅さを感じた。何も読めていない。節穴か。
魅力的だと思う活動をしている人が県内外からわざわざ足を運んでくれるのが有難いし、そこで聞く話以上に勉強になるものはない。なんてったって節穴なので。あとはそれをどう自身の生活圏内に落とし込んでいくか。また、来店してくれる若い作家さん達に共有していくか。日本酒や焼酎で初めの頃(ほぼ大学生時)に変な飲み方をしてトラウマになってしまう(そのコンテンツ自体に興味を持てなくなってしまう)のと同じような現象がアートにおいても起こりうると思うし、魅力的でない展示をすることが鑑賞者にとってそれぐらいの影響を与える可能性があるという危機感はもう少し持って良いのかなと思うことがこの頃多々ある。みたいな話はどうしても外側ではしづらい(今だってオブラートに包んでいる)し、自ずと店の中に限られていく。し、最近ではこういう話ができる相手かどうかすら事前に見極めなければならなくなった。去年はそれができてなくて(やってなくて)めちゃめちゃに失敗した。結果的に失敗も反省も含めて、自身の生活には落とし込んでいけてるのでそれはそれで糧になるんだろうけど。作家でない自分がどこまでそれを言っていいのか。むむむ。