四月二十一日(晴れ)
カウンター席に座った某氏にぽろっと「今ホームページ上でこっそり日報を更新している」と溢したら(ひつじがドットコムって言いたくなっただけ)、その両サイドに座っていた人たち含め全員がスマホを取り出し、アクセスしてくれた。照れる。
(諸般の事情で来店を伏せたい人もいると思うし、そもそも飲み屋でのプライバシーは守られるものだという前提に基づき)基本的に来店者は「某氏」で表現するが、SNSで投稿をしてくれた人に限って(来店を隠してないので取り上げてもよかろうという甘え)実名で表記すると伝えたら、それを聞いたエガシラさんが早速インスタグラムで来店投稿をしてくれた。この日報に書かれることに一体なんの名誉があるのか書いていてさっぱりわからないが、それはさておきSNSに来店の記憶を残してもらえるのは嬉しい。エガシラさんに届いたばかりの『文学と汗』や『酒場の君』を薦める。
エガシラさんが会計の際、現金を手渡しながら「ちゃんとあるか確認してください」と言うので「信用してるので大丈夫ですよ」と言いつつお札の枚数を数えたら提示した金額よりもお札が2枚多く渡されてた。危ない危ない。こういう場合、大体足りないパターンで「ちょっとちょっと足りませんよ〜もうしっかりしてくれなきゃ」ってのが相場な気がするけど、まさか多く渡されるとは。想定外の流れに気の利いた返しができず猛省。
某氏から日記本の面白さについて尋ねられたので改めて考えてみたけど、そもそも面白いかどうかで日記本を手に取ったことがなかった。それよりも同じ時代(異なる時代でも)に異なる場所で暮らす人の生活がただ知りたいし、毎日面白いのは逆に嘘くさい。創作性のない日常の記録に価値を感じてしまう。みたいな返答した。とはいえ自分が外向きに日記を書こうとしたらつい色気を出してしまうので我ながら矛盾している。この日報だってそう。面白いかどうかを気にせずにただ淡々と粛々と書けば良いのはわかってるけど、カウンター席を挟んで読んでる人たちの顔を見た瞬間にそれが全くできてないことに気づいて顔から火が出そうになった。道のりは遠い。